日本の歴史上最悪な悪人ランキングTOP17

第15位:北条政子(ほうじょう まさこ)

北条政子
出典:Wikiwand

北条政子とは、鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室だった女性です。周囲の反対を押し切って、敵対する立場にあった頼朝と結婚し4人の子に恵まれました。頼朝亡き後は出家し尼となり、のちに尼将軍として鎌倉幕府の存続に尽力します。

鎌倉幕府を支えた北条政子も日本三大悪女の1人です。その理由は彼女の凄まじい嫉妬深さにありました。夫の頼朝が寵愛した亀の前という女性の家を襲撃し、彼女を匿った役人さえも流刑にしたのです。

これをきっかけに夫である頼朝も妻に恐れを抱き、隠れながら女性のもとへ通いました。後に頼朝の子を産んだ大進局という女性は政子に隠れながら子供を育てています。

第14位:日野富子(ひの とみこ)

日野富子の御木像がある宝鏡寺(京都府)
出典:Wikiwand

日野富子とは、室町幕府の将軍である足利義政の正室だった女性です。最初の子が夭逝した際は「義政の乳母の呪いだ」と言い、夫の乳母と側室たちを流刑にするほど気性の激しい女性でもありました。

日野富子も日本三大悪女の1人になります。その理由は「応仁の乱のきっかけとなったから」です。夫の義政が弟の義視を後継者に選んだすぐ後に、富子が息子である義尚を出産。その結果、後継者争いが起こり応仁の乱が勃発したのです。

応仁の乱
出典:Wikiwand

それだけでなく、戦時中に富子は幕府の実権を握りながらも関銭*などを資産として貯め込んでいました。このことから、戦に苦しんでいた民衆たちにも悪女として認識されます。

*関銭(せきせん)

関銭とは、交通の要所に設置された検問施設である関所を通るための通行税のことです。平安時代に登場し、鎌倉時代に日本各地に関所が設けられ関銭が徴収されるようになりました。

第13位:弓削道鏡(ゆげの どうきょう)

道鏡の墓とされる古墳の道鏡塚
出典:Wikiwand

弓削道鏡とは、奈良時代の僧侶です。若い頃から高僧の弟子となり、インドなどで使われていた古代語サンスクリット語を学んでいました。後に朝廷に入ることを許可されるほどに出世します。

弓削道鏡は日本三悪人の1人です。その理由は「天皇に取り入り実権を握った」からだとされています。道鏡は孝謙天皇が病に臥したとき、医僧として看病し天皇の寵愛を受けるようになりました。

道鏡を寵愛した孝謙天皇
出典:Wikipedia

その後、彼は政治に干渉するほど高い権力を持つようになります。その結果、「天皇に取り入って実権を握った僧侶」として批判を受け、最終的に失脚しました。

*道鏡の逸話

天皇に寵愛されて実権を握った事実から、道鏡には後ろ暗い逸話が数多くあります。しかし、道鏡自身が悪行や悪事を行ったという明確な史実はありませんのでご注意ください。

第12位:松永久秀(まつなが ひさひで)

松永久秀
出典:Wikiwand

松永久秀とは、戦国時代に大和国(現在の奈良県)で活躍した武将です。戦国大名である三好長慶の忠臣として仕えていましたが、長慶の死後に三好三人衆*と対立。最終的には、織田信長への謀反に失敗し自害しました。

松永久秀は、下剋上的な出世や東大寺大仏殿の焼失に関与した疑いがあります。しかし、その中でも非道とされるのが将軍足利義輝の暗殺疑惑です。

足利義輝
出典:Wikiwand

1565年、足利義輝は久秀の息子と三好三人衆によって殺害されました。久秀は不参加でしたが、彼が暗殺の首謀者だと主張する説は根強いです。ただし、現時点では確かな史実はありません。

*三好三人衆(みよしさんにんしゅう)

三好三人衆とは、三好長逸・三好宗渭・岩成友通の3人のことです。3名とも三好氏の一族であり、三好長慶の死後に三好家による三好政権を支えました。

三好長慶をよく知れるおすすめ小説6選【主人公から脇役の本まで】

第11位:平将門(たいら の まさかど)

平将門
出典:Wikiwand

平将門とは、平安時代の豪族です。10代で平安京を訪れ、国政を担う職位である公卿の藤原忠平に仕えるようになります。しかし、藤原氏の下では出世はできず、将門は徐々に反乱への道に進んでいきました。

平将門は新たな天皇になる野望を掲げた日本三悪人の1人です。関東地域での争いを経て、政治の中心地であった国府を襲撃。当時の天皇に対して「自分が新しい天皇だ」と主張し、朝廷の敵となりました。

しかし討伐隊が派遣され、即位からわずか2ヶ月後に将門は討伐されます。平将門が内乱を起こした理由は諸説ありますが、いずれも確かな史実はありません。

1 2 3 4

2 COMMENTS

砂川@工場勤務の歴史マニア

歴史とは難しいもので、善悪だけで判断できませんし、そんなに単純な事ではありませんよね。
記事の結びでの、
「歴史の人物を学ぶときは1つの視点からではなく、いろんな方向から見ることが必要です」
同感でございます。

ライターの方が、注意深く、そして客観的に作成されたことが何となくですが読み取れました。
それでいて、とても分かりやすい記事。
大変勉強になりました!!

返信する
岩野祐里

砂川さんへ
こちらの方にもコメントをくださって嬉しいです。ありがとうございます!
悪人と呼ばれる人々にも善人の面があり、善人と呼ばれる人々にも悪人の面がありますよね。この記事では、「悪」の視点のみから考察していますが、客観的にまとめることを大切にしました。だからこそ、あえて歴史を学ぶうえで重要なのは視点の多さだと伝えられたらと思います!その点を共感してくださって、本当に嬉しいです。

「悪人だと思ってたけど、時代によって違うんだ!」
「善人だと思ってたけど、非道な面も持っていたんだね…!」

記事を読んでこのように思ってくれたら嬉しいですね。今回の記事のように、歴史の面白い情報と歴史を学ぶうえで大切だと思うことを今後もたくさん伝えていきたいと思います!

今後もレキシル記事を読んでくださると嬉しいです。
改めまして、コメントいただきありがとうございます!

返信する

コメントを残す