【壮絶】生い立ちが地獄すぎる苦労人の芸能人40選

28位:徳井健太

徳井健太
出典:Instagram 

徳井健太さんは、お笑いコンビ「平成ノブシコブシ」のツッコミ担当。本人は、中学校時代から「ヤングケアラー」であった事を告白しています。ヤングケアラーとは、病気や障害のある家族の介護を担い、本来受けるべき教育を受けられない未成年の事を指します。

徳井健太さんの母親は、父親に全てを依存していたそうで、父親が単身赴任で家から去ると精神的におかしくなったそう。家に閉じこもり家事を一切しなくなり、徳井健太さんが家事や6歳下の妹の世話もしていたそうです。

再婚し、相方以上の破天荒キャラという噂も
出典:週刊女性PRIME 

後に母親は統合失調症となり、家で暴れる事もあったそう。ただ徳井健太さんは、特にショックを受けてはおらず、「たまたま同居人が精神疾患になったから介護する」という感覚で母親の介護をしていました。後に徳井健太さんの母親は亡くなっています。

徳井さん:母が発病したとき、妹は小1でショックを受けたと思います。妹の思い出のなかでは、母は部屋に閉じこもり、たまに暴れているイメージしかないでしょう。僕にはまだ、中1までの母の残像があるからいいほうです。でも、妹を支えなきゃという正義感などは特にありませんでした。僕がこういう話をするうえで、世の中と感覚がズレているなと感じるのは、ここなんです。僕は家族に対して愛がないというか…母も妹も結局は他人、という感覚です。たまたま同居人が精神疾患になったから、介護する。必要だから、料理も家事もする。仕事みたいな感じでした。

引用:chanto.web
ヤングケアラーとしての公演も
出典:フリーアナウンサー鈴木もえみ・公式サイト 

徳井健太さんは現在、お笑いの仕事のほかにヤングケアラーにまつわる講演も行っています。本人はその生活が当たり前だったからこそ、自分がヤングケアラーという自覚はなかったそう。自覚のないままパンク寸前のヤングケアラーに対し、自分の境遇を認識させる。それが徳井健太さんの役割なのかもしれません。

27位:麻生久美子

麻生久美子
出典:Instagram 

麻生久美子は、1999年の映画「カンゾー先生」で新人俳優賞を受賞した俳優。彼女は千葉県山武市出身ですが、幼少期はとても貧乏だったそうです。父親はギャンブル依存症であり、時に暴力もふるったそう。母親が当時の貧乏生活を以下のように語っています。

幼少期の麻生久美子
出典:芸能人の学歴や有名人の高校・大学情報は芸能人有名人学歴偏差値.com 

当時の生活について、春代さんは本誌に、「ザリガニもご馳走だったのよ。プリプリして美味しい」とも語っていた。近所の麻生の友達はスルメを餌に釣って水槽に入れて飼育したが、麻生家ではわずかなパンの耳で釣ると鍋に入れて茹でていたという。

引用:週刊現代

その後、 母親は父親との生活に耐えかねて離婚。ただ生活は楽にならず、道端の野草を食べて飢えをしのいだ事も。当然洋服も満足に買えなかったため、いつも同じ服や学校の体操服で登校していたそう。学校ではいじめの対象となり、石を投げられて額に当たった時の傷は、いまだに残っています。

中学2年生で芸能界デビュー
引用:週刊現代

やがて麻生久美子は、中学2年から芸能活動を始め、1995年の映画『BAD GUY BEACH』に出演。2007年にはスタイリストの伊賀大介と結婚し、2人の子供にも恵まれました。多忙な生活も、貧乏な暮らしの中で得られた精神力で乗り切っているのかもしれません。母親は、昔の生活と今の様子を比べつつ、以下のように話していました。

「女優をしながら家族の食事をつくり、子供の習い事のために送迎する。貧乏というだけでからかわれた経験もあるぶん、気遣いと思いやりがある立派な母親に育ったと思います」(春代さん)

引用:週刊現代
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