この記事を書いた人
某週刊誌の元記者
Rekisiru編集部、東条りな(とうじょうりな)。新卒で某有名週刊誌を運営する出版社に入社。8年勤務したのち結婚を機に退社。芸能ネタとネットゴシップ収集が生き甲斐であり趣味であり仕事。現在はWeb系メディアを中心にメディア編集業に従事。
30位:ダンディ坂野

出典:お笑いナタリー
ダンディ坂野は2003年頃にブレイクしたお笑い芸人です。両手の親指と人指し指を二丁拳銃のように立て、それを観客の方に向けながら「ゲッツ!」という芸がブレイク。その年の流行語大賞にも選ばれた他、イギリスの国営放送BBCが(わざわざ)日本まで来て取材に訪れた事もありました。

出典:お笑いナタリー
ただ、ダンディ坂野は「ゲッツ」のフレーズや黄色いスーツのキャラクターがうけているのであり、トーク力は今ひとつ。実力が伴っていないことがわかると、テレビから姿を消していきました。ちなみに「ゲッツ」は「面白くないネタを披露して、滑って気まずくなった空気の中で使う」のがゲッツの本来の使い方です。

出典:動画NOW
一発屋のイメージのあるダンディ坂野ですが、そんな事はありません。彼は地方営業や単発的なテレビなどでしぶとく芸能界で生き残っています。特にCMからのオファーが多く、2022年には人生最多の34本ものCMに出演。CMはテレビ出演よりギャラも高く、実は相当の収入を稼いでいる事がわかっています。
この頃、ドラマやCMに呼ばれるようになって感じたのは、昔のゲッツを好きでいてくれる人って、たくさんいらっしゃるんだなということ。だからもう、僕は死ぬまでそれを全うしようと思いました。永遠に「黄色を着てゲッツをやる人」を全力でやっていけば、みなさんのニーズに応えていけるんじゃないか、と。ある程度の結論に達したというか、そこだけはブラしてはいけないという今後の人生における軸が定まった感じがしました。
引用:tayorini by LIFULL介護
もちろん、たまに芝居の仕事をしたり、コロナ禍の外出自粛期間中にYouTubeチャンネルを始めたりと、新しいチャレンジもしているんですけど、「ゲッツのダンディ坂野」だけはずっと大事にしていきたいです
ダンディ坂野は一発屋やいじられ役を演じつつ、芸能界における自らのアイデンティティを維持し続けています。私生活を見れば、2004年に元アルバイト先の店員だった14歳下の女性と結婚。2児の父親でもあります。

出典:just news
ちなみにダンディ坂野が所属するサンミュージックは、今後もヒロシや小島よしお、スギちゃんなどの数々の「一発屋(とされる)芸人」を輩出しますが、ダンディ坂野はその先駆け的存在です。ダンディ坂野のおかげで一発屋芸人のパイプが生まれたともされ、ダンディ坂野は一発屋芸人というジャンルを作った立役者でもあるのです。
29位:はなわ

出典:Instagram
はなわは、2003年頃にブレイクしたお笑い芸人でありミュージシャン。6年生の頃に移り住んだ佐賀県を歌った「佐賀県」のCDが25万枚を超える大ヒットとなり、2003年の紅白歌合戦にも出場しました。そのメロディセンスは、福山雅治から「詞とメロディーを作るセンスは桑田佳祐さんのレベルに達してるんじゃないか」と称されました。

出典:はなわ
はなわといえば「佐賀県」のイメージが強いものの、2004年に「伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜」をリリース。その後も、サウンドプロデューサーとして60曲以上もの楽曲制作に携わっています。佐賀県に対する愛着は深く、2011年に子育てのため佐賀県へUターンしました。

出典:音楽ナタリー
2019年3月には出身地の春日部の親善大使に就任し、同時期に放映された「跳んで埼玉」の主題歌を担当しました。更に2025年には、埼玉武蔵ヒートベアーズが「臨時コーチ」としてはなわが入団。近年は佐賀県より埼玉を起点とした活躍が多いようです。

出典:ねとらぼ
はなわが仕事で大切にしているのは、周りを元気にする事。過去のインタビューで以下のように答えています。youtubeのチャンネル登録者は2025年6月時点で50万人もおり、中堅のお笑い芸人より登録者は多いです。一発屋のイメージはあるものの、息長く活動を続けていると言えるでしょう。
「“人を元気にすること”ならなんでもやりたいですし、逆にそうじゃなければやらないと決めています。『はなわは何屋なんだ?』と言われたいですし、これからも肩書きにこだわらず色んなことにチャレンジしようと決めています。芸人としては、昔から賞レースには興味がないですし、マイペースに人と違うことをやり続けるだけというか。もちろん、弟をはじめ、そういったところで勝負している方は凄いなと思いますし、チャンピオンを目指してお笑いをやっている人達のことを大尊敬しています。ただ、僕はみんなが目指すようなエベレストよりも、誰も知らないそこらへんの山の頂上に立ち続けていたいんですよね。その気持ちは今後も変わらないと思います」
引用:ORICON NEWS