4位:波田陽区

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波田陽区は、2004年ごろにブレイクしたピン芸人。「ギター侍」の異名を持ち、「でもアンタ、○○ですから! 残念!!○○斬り!!」と、一般人や芸能人をぶった斬るネタで人気を博しました。最高月収は脅威の2800万円で、エンタの神様以外に、着ボイスやCDによる収入があったようです。

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2005年になると人気はどんどん落ちていき、本人は「俺ってもういらなくなったんだ」と痛感するようになります。その後もテレビに出る事はあっても「一発屋枠」の出演がほとんど。どの番組に出ても「最高月収」、「最低月収」、「今の悲しい話」をするばかりで、精神的に参っていたようです。

出典:プーの徒然日記
ただ波田陽区は40歳を過ぎた2016年に、家族と共に福岡に移住。半年ほどは空港でアルバイトをしていたものの、2016年のリオデジャネイロ五輪のメダリストとなった水谷隼と顔が似ていた事で、再注目を浴びます。水谷隼のそっくりさんとして仕事が入るようになり、福島でも活動を続けられるそうです。

出典:Abema Times
波田陽区は元来腰の低い人であり、ギター侍の頃も芸能人をぶった斬る前に必ず楽屋を訪れていました。そうした性格の良さもあり、大御所芸人の間寛平が舞台をする際は、事務所が違っても声がかかるそうです。長く芸能生活を続けていくには、人の縁が大切である事がよくわかりますね。
── その後、仕事が徐々に増えた感じだったのでしょうか。
引用:CHANTO WEB
波田さん:そこから九州内で仕事がポツポツ増えてきて、なんとかアルバイトをせずに今に至っています。「奥さまがたれ目の自分推し」という理由で、20年前から寛平さんご夫妻が変わらずかわいがってくださって、寛平さんが福岡で舞台をされるときに出していただいたり。同じ事務所でもないのに、仕事がない僕を気遣って、使えそうな仕事に全部呼んでくださって。本当にお世話になっているんです。