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知らないとはいえない日本の文豪10人

芥川龍之介 | 1892 – 1927年

芥川龍之介は、主に大正時代から昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。短編小説の名手として、現在も広く名が知られ、「日本の文豪と言えば?」という質問があれば、彼の名前が上がらないことはまずないでしょう。

古典文学をオマージュした作風と、人間の醜い部分を克明に描く筆力を持ち味としており、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などのエピソードを、現代的に翻案した作品を数多く残しています。また、話の筋が分かりやすく、教育的な児童小説も残していて、特に『羅生門』『蜘蛛の糸』あたりは、現在でも教科書などの教育現場で親しまれています。

教育的で芸術至上主義的な作品や、人間が生きていくうえで、必ず付きまとってくる苦悩、あるいは人のエゴイズムや欲望を主題とした作品を、その鋭敏な感性と教養をもって数多く残した芥川。

そんな作風に違わず、一人の人間としての芥川は、とても繊細な人物であったらしく、ともすれば繊細すぎてメンドクサイ人物でもあったようです。その心根の繊細さが祟った故に、最後には自殺によってこの世を去ってしまうのですから、本当に細やかな感性を持った人物だったのでしょう。

そんな彼の生涯や、彼の残した人間的なエピソードについて、迫っていきたいと思います。

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宮沢賢治|1896‐1933年

宮沢賢治は明治時代に生まれ、38年という短い人生でたくさんの美しい童話や詩を書いた童話作家です。「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」など、国語の教科書で読んだりタイトルだけは聞いたことがあったりする人も多いでしょう。また、「雨ニモ負ケズ」という詩を暗唱したことがある人もいるかもしれません。

賢治の作品には、人の力を超えた自然を描いたものが多くあります。また、「死」を童話として表現しているのも特徴です。そのため、明治から大正、昭和初期に書かれた賢治の童話は時に難しく「何が書かれているのか分からない…」と言われることもあります。

宮沢賢治

宮沢賢治はどうして自然や死について書き続けたのでしょうか。それは、賢治が「人間全体の幸福」について常に考えていたからです。

岩手県花巻の大きな質屋の長男として生まれた賢治は、あまり自分の家の仕事が好きではありませんでした。そのためこの時代の長男でありながら質屋を継がず、農業を勉強して農学校の先生をしたり、農民を志したりします。

仏教についても学び、熱心な日蓮宗の信者でもありました。科学についても詳しく、さらには「エスペラント語」という世界の共通語として作られた言語を独学で勉強したこともあります。

賢治は好奇心が強く、グローバルな視点で「人間と自然が本当に幸福になるには?」を考え続けていた人だと言えるでしょう。以下の記事では、そんな賢治がどのような人生を送ったのか、また彼の残した作品の魅力などを解説しています。

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森鴎外|1862‐1922年

森鴎外は、『舞姫』『高瀬舟』『山椒大夫』などで有名な明治・大正期の小説家です。

小説家として名高い鴎外ですが、官僚としても高い地位にあった人でした。当時の東京大学予科には最年少で合格、大学卒業後は陸軍の軍医として勤務し、ドイツに留学するなどまさにエリート中のエリートです。

そんな鴎外は、なぜ小説を書いていたのでしょうか。それは、心の奥に満たされぬ思いがあったからだと筆者は思います。

高級官僚として、地位も名誉もほしいままにしていたはずなのに、どこか満たされぬ空虚な気持ち、それを鴎外は文学の形で昇華させていたのではないでしょうか。また、鴎外の残した遺言もそのことを暗示しているように思われます。

森鴎外の弟子木下杢太郎は、鴎外を「百門の大都」に喩えました。つまり百の門を持つほど幅広くそれぞれが奥深い「知の巨人」であるというのです。そうした文豪森鴎外を知ることは文学という枠を超え、近代を迎えた日本という国家や文化を考えることにも繋がります。

以下の記事では、森鴎外の生涯や代表作、そして彼の臨終の際のエピソードなども詳しくご紹介しています。

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太宰治|1909‐1948年

大正期から昭和初期にかけて数多くの名作を残し、今なお文壇に大きな影響を与え続けている太宰治

彼が遺した作品は数多くありますが、今なお国語の教科書などで読み継がれる快作『走れメロス』、没落した華族の女性を主人公に“滅びの内に見える美しさ”を描いたベストセラー『斜陽』、そして人間的な堕落と退廃を真正面から描いた『人間失格』などが有名です。

そんな太宰の人間性は平たくいうと“ダメ人間”の気質が強く、『走れメロス』の作風から受ける印象とは大きく異なる人物であったようです。

「左翼活動への傾倒と挫折」「愛人との退廃的な生活」「度重なる自殺未遂」「薬物中毒」など、太宰の退廃と堕落のエピソードはたくさんあります。『人間失格』は彼の最後の完結作ですが、この作品が自伝的小説だと囁かれるあたりからも太宰の人間性がうかがえるでしょう。

今なお読み継がれる多くの名作を遺しながら、私生活では薬物中毒や自殺未遂を繰り返し、退廃的に38年の生涯を駆け抜けた作家、太宰治。

以下の記事では、そんな太宰の功績や人間性、代表作について迫っています。

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夏目漱石|1867‐1916年

旧1000円札の肖像にも選ばれていた明治の大文豪・夏目漱石。小説「こころ」は高校現代国語の教科書の定番でもあり、誰もが一度は彼の作品に触れているのではないでしょうか。

漱石が小説家として活動した期間は意外に短く、処女作「吾輩は猫である」を執筆したのは38歳、死により未完に終わった「明暗」執筆は49歳の時でした。

小説家漱石の実質的な活動期間はおよそ10年間だけなのです。その10年の間に「こころ」「道草」「それから」など日本文学史に残る多くの作品を手がけました。

夏目漱石

漱石の生涯は明治という時代とともにありました。日本が近代国家となり、国家システムや政治だけでなく、文化も文学も生まれ変わっていく激動の時代の中で、漱石は小説家として新しい時代のスタンダードを作った人物と言っても過言ではありません。今の時代に漱石を読むということは、日本の近現代文学を見つめ直すことにつながるでしょう。

以下の記事では、漱石がどんな人物だったのか、その功績や代表作、たくさんのエピソードなどとともにご紹介しています。

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司馬遼太郎|1923‐1996年

あなたは日本が生んだ偉大な歴史小説家・司馬遼太郎を知っていますか?

彼の名前を知らなくても「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」、「坂の上の雲」などの作品名を聞いたことがある人は多いかもしれません。NHKの大河ドラマでは、原作に司馬遼太郎の「功名が辻」や「国盗り物語」といった作品が採用されています。

司馬遼太郎

けれども、たくさんいる歴史小説家の中で、なぜ司馬遼太郎はこんなにも人気なのでしょうか。それは、彼にしかできない歴史の切り取り方をしたからです。

司馬遼太郎の歴史観は「司馬史観」と呼ばれ、彼の視点によって、鋭く新しい歴史の解釈がたくさん生まれています。その結果、司馬遼太郎の作品は単なる歴史的事実を書き連ねた退屈な作品ではなく、登場人物たちがいきいきと描かれたものになっているのです。

単なる歴史小説家の枠を超えて、歴史に新たな息吹を吹き込み、過去の英雄に彩りを与えた司馬遼太郎。以下の記事では、彼の功績や生涯、代表作について解説しています。

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三島由紀夫|1925‐1970年

三島由紀夫は、「戦後耽美派」と呼ばれ数々の名作を残した小説家です。ノーベル文学賞も噂される、世界的に評価されていた小説家でしたが、映画俳優をしたり、ボディビルで体を鍛えたり、いわゆる「小説家」という枠からは大きくはみ出た存在でした。そして何より彼をセンセーショナルな存在にしたのが、「切腹」という死に様です。

三島は、自らが組織した政治的思想結社「楯の会」のメンバーと共に、昭和45年11月25日、自衛隊の市ケ谷駐屯地に立てこもりました。そして、戦後の平和憲法と自衛隊の存在の矛盾をなくし自衛隊を「名誉ある国軍」にしようと訴えたのち、切腹します。戦後の価値観を真っ向から否定する衝撃的な行動をなぜ起こしたのか、今も謎を多く残しています。

三島由紀夫が書いた「仮面の告白」「金閣寺」「鏡子の時代」「豊饒の海」「近代能楽集」などの作品群は、日本国内だけでなく世界的にも高く評価されました。三島が手がけた脚本は世界で上演されノーベル文学賞の有力候補にもなりました。

文学者としての名声を得ながら、政治的行動を起こして切腹という死に様を演じた三島由紀夫という存在を追うことは、昭和の歴史を振り返り、戦後日本のあり方をもう一度見つめ直すことにも繋がります。

以下の記事では、三島由紀夫の人間性やその生涯、彼の起こした「三島事件」について詳しく解説しています。

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樋口一葉|1872‐1896年

樋口一葉は、明治時代を生きた女性作家です。5000円札の肖像として知っている人も多いでしょう。日本で近代小説が書かれ始めたばかりの明治時代、一葉は和歌の教養をベースにした優雅な文体を用いながら、下層社会で必死に生きる女性の姿を、叙情的かつリアルに描き出しました。

一葉の人生は24年という短いものでした。そしてその短い生涯の大半を「貧しさ」に苦しめられました。明治という半封建的な時代にあって、一葉はうら若い女性の身でありながら、一家の大黒柱として家族の生活を支えていかなければなりませんでした。

だからこそ一葉は「小説」を書いてお金を儲けなければならなかったのです。一葉にとって小説は、創作欲求により生み出す芸術であるとともに、原稿用紙に記す一文字一文字が「生きていく」ための糧でした。

貧しさの中に沈み、女の力で生きていくことの辛さ・悲しみを身をもって知っていた一葉だからこそ、社会の下層に生きる女性の悲哀を叙情的にこの上もなく美しく、かつリアルに描くことができたのでしょう。彼女の作品は、かの文豪・森鴎外に「われはたとえ世の人に一様崇拝の嘲りを受けんまでも、この人にまことの詩人という称をおくることを惜しまざるなり」とまで言わしめたのです。

「男女平等」「女性の権利」などという言葉も存在しない時代、生きること自体がサバイバルなのに、文学を追求し続けた一葉の凄まじさ!以下の記事では、そんな樋口一葉の生涯とその魅力を余すことなくお伝えしています。

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泉鏡花|1873‐1939年

泉鏡花(いずみきょうか)は、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。同時代には、夏目漱石や芥川龍之介、太宰治といった教科書に登場する文豪たちも活躍していました。しかし、彼らとは違うジャンルの小説を生み出したのが泉鏡花なのです。

現在でも、「異世界転生もの」や「冒険ファンタジー」など、空想上の出来事を小説にした作品は数多く出版されています。それらの先駆けとも呼ぶべき、「幻想小説」の礎を築いた人物が、泉鏡花です。

鏡花の幻想的なアイデアはどこから来たものなのでしょうか。それは、彼の生い立ちを辿ると見えてくるかもしれません。

泉鏡花

小説家・三島由紀夫は鏡花の作品群をこう評価しています。「今の青年たちが鏡花の作品を読んだら、サイケデリックの元祖だと思うに違いない」。少しおぞましいほどの美しさをもつ鏡花の作品は、はまるとその幻想世界から抜け出せなくなります。

以下の記事では、泉鏡花の生涯やその作品の魅力を解説しています。

【年表付】泉鏡花とはどんな人物・生涯だった?作品や名言も紹介! 泉鏡花のおすすめ作品6選【入門から上級まで】

梶井基次郎|1901‐1932年

梶井基次郎は、大正末期から昭和初期にかけて作品を発表した小説家です。

小説家としての知名度は、太宰治や芥川龍之介に比べるとさすがに劣っていると言わざるを得ません。けれども、「桜の木の下には死体が埋まっている」という、都市伝説的に語り継がれる文言を生み出した作家として、梶井のことを知らずとも実は彼の遺した言葉を聞いたことがある方は数多くいることでしょう。

梶井の作品は現在で言うところの「青春小説」のような作品が多くあります。若者の心にダイレクトに引っかかるような作品が多いので、中高生・大学生など若い人の文学入門にはぴったりです。

梶井基次郎

梶井の描いた感覚と知識が融合した独特の文章は、井伏鱒二や川端康成など多くの有名作家から高い評価を受けました。昭和初期の文壇の中でも「新しい文章ではないが、他に類例がない」という、かなり特殊な立ち位置にある文章として評価されています。

しかしそのような評価は、ほとんど全て梶井の死後に贈られたものです。生前の梶井の文学に関する評価は、なかなか手厳しいものが多かったと伝わっています。彼はそういう意味で時代を先取りしすぎた作家だったのかもしれません。

そのように青春小説の元祖を生み出し、他に類例のない独自の立ち位置を形成した梶井基次郎。以下の記事では、個人としての梶井にスポットライトを当て、彼の生涯や魅力についてご紹介しています。

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