いくつ答えられる?ダヴィンチクイズ

幕末に活躍した人物・武士を紹介!当時の出来事や写真、相関図付きで徹底解説

幕末、それは、260年以上も続いた江戸幕府の最後の時代。一般的にはペリーの黒船が来航した1853年から戊辰戦争の1869年までの時代をさします。そんな長く続いた江戸幕府を終焉させただけあって、この時代には有名な偉人たちが数多く活躍していました。そのため、

「幕末にはどんな人物が活躍したの?」
「幕末に起きた出来事にはどんな人物が関係していたの?」

といった疑問を抱く方も多くいると思います。幕末には、数々の偉人立ちが様々な思想や立場を背負い、新しい時代を築こうと活躍しました。

そこで今回は、こういった疑問にお応えすべく、幕末に起きた出来事にそって幕末の人物を紹介していきます。

この記事を読み幕末の人物たちの行動や人柄に触れることで、幕末がもっと身近に感じられるようになります。記事の終盤には、幕末の人物関係が良く分かるおすすめの作品についても紹介しているので、ぜひ最後までご覧ください。

幕末の人物相関図

幕末の人物を紹介する前に、初めに幕末の人物たちの関係性についてご紹介していきます。幕末の人物たちはこのような相関図となっています。

幕末の相関図

幕末では大まかに分けると、

  • 朝廷
  • 幕府
  • 新選組

このような派閥があり、それぞれの派閥が様々な考えを持ち行動していました。藩の中でも薩摩藩は幕府と敵対する藩であったり、会津藩は幕府に忠誠を誓っていたりと、藩によっても考え方が大きく変わります。

このそれぞれの派閥の関係性についてこれから紹介していきます。

朝廷

朝廷とはかつて日本に存在した、天皇を中心とした組織です。幕末時代には孝明天皇や明治天皇が在位していました。

幕末では1867年の大政奉還が行われるまで幕府が政治を行っており、それまでは年号の制定や官位授与などの役割を朝廷が担っていました。大政奉還後は政治権力を回復しましたが1885年に現在の内閣制度が発足したことで政治機構としての朝廷は消滅することになります。

幕府

江戸城天守

幕府とは将軍が政治を行う体制のことです。前述のように幕末では朝廷が将軍を決める官位授与の役割を持っていました。そのため幕府は朝廷から日本の政治を行うように委託されていた形になっています。

ですが幕府の井伊直弼は、天皇の許可なしで「日米修好通商条約」を結んだことがきっかけで、尊王攘夷運動(天皇を敬い、海外勢力は追い払おうという考え)が活発になり、混乱した世の中になっていきます。そしてこれが後に旧幕府側と新政府側の戊辰戦争へとつながっていきます。

薩摩藩(サツマハン)

藩とは今でいう地方自治体のようなもので、幕末ではそれぞれの藩が特有の思想を持ち、動いていました。薩摩藩は現在の鹿児島県の位置にあります。

幕末前期では薩摩藩の藩主である島津家が、幕府とともに尊王攘夷派との対立を深めました。幕末後期では西郷隆盛や大久保利通が実権を握ることになり、長州藩と同盟を結び薩摩藩は倒幕勢力へと変わりました。

会津藩(アイヅハン)

福島県会津郡の範囲

会津藩は現在の福島県に当たる位置にあります。会津藩は代々「将軍に忠誠を尽くす」という方針で、幕末でもこの方針に従い政治がおこなわれており、幕府に従い新選組と共に尊王攘夷派を取り締まっていました。

最後まで幕府に忠誠を誓っていましたが、幕府がほろびた後に薩摩藩や長州藩を率いる新政府軍に攻撃されることになります。

新選組

新選組は幕府が将軍の警護のために作られた組織で、京都の尊王攘夷派を厳しく取り締まっていました。

新選組では掟に違反したものは切腹させられるという厳しさや、団結力が非常に強く、死をも恐れないことから尊王攘夷派に恐れられていました。ですが会津藩と同じように幕府がほろびた後は新政府軍との戦いにより多くのものが戦死し解散することになります。

幕末に起きた出来事と重要人物・武士一覧

黒船来航図

ではここから幕末に起きた出来事とそれに関する重要人物を紹介していきます。

黒船が来航する

1853年7月にペリー率いるアメリカの軍艦が4隻、神奈川県の浦賀に現れ、この軍艦は黒く塗られていたため「黒船」と呼ばれることになりました。

当時の幕府は外国とは交流しない「鎖国」という政策をしていたのですが、ペリーは「日本と交流をしたい」というアメリカの意志を日本に伝えます。それに対して幕府は返答に猶予を貰い黒船は日本を去ることになります。

それから半年後、再びペリーは来航し幕府は日米和親条約を結ぶことになり、200年以上続いてきた鎖国が解かれました。この黒船の来航は、幕末に活躍する人物たちに大きな影響を与えることになります。

ペリー

ペリー

前述したように日本を開国させたアメリカの軍人です。ペリーは日本と交渉する際、優位に立てるように軍艦から空砲を撃ったり、将軍の徳川家慶の死に国政が混乱している隙に再来航しにきたりと、かなりの外交手腕を持っていました。

阿部正弘

阿部正弘公肖像画

阿部正弘は当時の将軍、徳川家慶に能力を認められ25歳で「老中」に選ばれました。そして幕府の実権を握ることになり、その後ペリーの来航によりアメリカとの戦いを避けるため日米和親条約を結びました。

このことにより幕府は攘夷派との対立が生まれてしまいますが、ペリーが来航してすぐに阿部正弘は病気のため急死してしまいます。

大老・井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)

1860年に尊王攘夷派の志士たちは、江戸城の桜田門外で幕府の最高職である大老・井伊直弼を襲い殺害しました。これを桜田門外の変と言います。幕府の最高職が尊王攘夷派に殺されたことで、幕府の権威はこれ以降大きく衰えることになりました。

井伊直弼

井伊直弼肖像画

井伊直弼は1858年に天皇の許可を得ずに、日米修好通商条約を結びました。これによって尊王攘夷派が多く生まれ、幕府の政治に反発するようになります。

井伊直弼はこれを鎮めるため「安政の大獄」を実施し、多くの尊王攘夷派を処刑しました。その後やり口に怒りを覚えた尊王攘夷派の志士に、井伊直弼は殺害されます。

dog 大老「井伊直弼」とはどんな人?生涯・年表まとめ【人物像や名言についても紹介】

吉田松陰

絹本着色吉田松陰像

吉田松陰は叔父が開いた「松下村塾」を引継ぎ、そこで後に活躍する高杉晋作、木戸孝允などの尊王攘夷の志士を育てました。その後松陰は安政の大獄によって捕えられますが、処刑されるまで自分の倒幕の意志を広め、同じ思いを持つ者が立ち上がってくれることを願いました。

これにより後に「松下村塾」で育った数々の人物たちが活躍することになります。

【保存版】吉田松陰がよく分かるおすすめ本13選

新選組が尊王攘夷派を捕らえる(池田屋事件)

1864年新選組の局長近藤勇は、京都の池田屋にいた長州藩の尊王攘夷派を発見し激しい戦闘が起こります。新選組は4人で池田屋にのりこんだため苦戦しますが、後に副長の土方歳三を含む24人の志士達が到着し尊王攘夷派を9人殺害、20人以上を捕まえることに成功しました。

近藤勇

近藤勇は若いころから剣術の腕を見込まれ一時期、徳川家茂を守る「浪士組」になります。その後浪士組で考えの合う土方歳三たちと共に松平容保の下につき、後に新選組が発足します。その後近藤勇は新選組の局長として活躍しますが、幕府がほろびた後新政府軍に敗北し処刑されました。

新撰組局長!近藤勇とはどんな武士?生涯・年表まとめ【性格や死因についても紹介】

吉田稔麿

吉田稔麿

16歳で吉田松陰の「松下村塾」に入った尊王攘夷派の志士で「松下村塾」の中でも秀才として期待されていました。ですが1864年に吉田稔麿含む尊王攘夷派の志士たちが、池田屋に集まったところを新選組に襲われ、重傷を負ったのちに自害しました。

長州軍が御所に攻め込む(禁門の変)

池田屋事件がきっかけで長州藩は幕府に怒り、朝廷に無実を訴えるために天皇の住んでいる御所へ進軍します。

これに対し朝廷は長州藩を敵とみなし討つように幕府に命令し、これにより薩摩藩と会津藩が禁門を守り長州軍を迎え撃ちました。結果として西郷隆盛率いる薩摩藩の力が強く、長州軍は大敗することになります。

西郷隆盛

エドアルド・キヨッソーネ作 西郷隆盛

西郷隆盛は薩摩藩の藩士の家に生まれ、藩主である島津斉彬の側近として仕えていました。その後西郷は禁門の変に参加し長州藩を降伏させます。しかし、西郷は勝海舟の説得のもと長州藩とは協力すべきと考えており、この考えが後の薩長同盟につながることになります。

その後、西郷は戊辰戦争で新政府軍の参謀となり、活躍しましたが、西郷率いる旧薩摩藩と明治政府との戦争で敗れた西郷は自害し一生を終えます。

久坂玄瑞

久坂玄瑞

久坂玄瑞は18歳で吉田松陰の「松下村塾」に入り松陰の妹と結婚します。その後はイギリス公使館を焼き払ったり、フランスやオランダの軍艦を襲ったりと尊王攘夷を実行していました。しかし長州軍と幕府軍の戦いに巻き込まれ、敗北を悟ったのちに自害します。

坂本龍馬によって薩長同盟が結ばれる

1865年坂本龍馬は西郷隆盛に長州藩と手を結ぶように訴えました。西郷も同じ考えだと賛成しましたが、長州藩は西郷率いる薩摩藩から攻撃を受けていたため、そう簡単には同盟を組むことはできません。そこで坂本龍馬が間に入って仲直りをさせ、薩長同盟を結ぶことが出来ました。

お互いが手を組んで新しい社会を作るという形で作られた同盟ですが、この同盟がこの後の倒幕にもつながっていくことになります。

坂本龍馬

坂本龍馬は28歳の時に自由を目指し、土佐藩を抜け出して活動することになります。その後、龍馬は勝海舟の教えに感銘を受け弟子となり活動します。その頃禁門の変で長州藩と薩摩藩が対立していることで日本の危機感を感じ、両藩を結びつける活動を行いました。

その後、龍馬は大政奉還の時にも活躍をしますが、大政奉還が実現した1か月後、京都にて何者かに暗殺され、この世を去ることになります。

坂本龍馬とはどんな人?生涯・年表まとめ【暗殺理由や名言、性格も紹介】

木戸孝允

木戸孝允

木戸孝允は薩長同盟を結んだ長州藩の代表で、当時は桂小五郎という名前でした。薩長同盟については禁門の変の事もあり一度は断りましたが、坂本の働きにより薩摩藩を許し同盟を組むに至りました。幕府がほろびた後も新政府の基本方針を定めたり、廃藩置県などの大改革を実行していました。

長州征討で長州藩が幕府に勝利する(長州征討)

1866年、長州藩が最新の武器を集めていることを嗅ぎつけた幕府は西日本の32藩に長州藩へ攻撃するように指示しました。長州軍3500人のところ幕府軍は約15万人と圧倒的な数の差がありましたが大村益次郎、高杉晋作の活躍により、長州軍が幕府に勝利します。

大村益次郎

エドアルド・キヨッソーネ作 大村益次郎

大村益次郎は医師の家に生まれ、医学を学んでいました。その後江戸で教師をしている時に木戸孝允と出会い才能を認められ、長州藩で西洋の兵学を用いて軍隊の訓練を行いました。

長州討伐に続き、戊辰戦争でも新政府軍の作戦担当として活躍しましたが、その後新政府の軍隊の近代化を進めようとしたところを反対派に暗殺され生涯を終えます。

高杉晋作

吉田松陰の「松下村塾」に入った高杉晋作は吉田松陰の意志を受け継ぎ、攘夷と倒幕の考えを強く持っていました。

長州征討では幕府に味方する勢力も出てきたところを、その強い思いにより長州藩にて反乱を起こし長州藩の実権を握ることに成功し、長州藩は幕府を倒す力を得ることになりました。ですが長州征討のすぐ後に高杉は病気によって亡くなります。

dog 【生涯・歴史年表まとめ】高杉晋作とはどんな人?名言・辞世の句も紹介

大政奉還によって江戸幕府がほろびる

1867年に長州藩と薩摩藩が武力で幕府を倒す動きをし始めることになります。戦争はするべきではないと考えていた坂本龍馬は、将軍が政権を朝廷に返す「大政奉還」を唱え、この案は将軍徳川慶喜まで伝えられました。

これを受け入れた慶喜はすぐさま朝廷に大政奉還を申し出、これにより260年以上続いた江戸幕府はほろびることになります。

徳川慶喜

徳川慶喜

徳川慶喜は幼いころから秀才で、将軍候補として知られており、14代将軍家茂が病死した後、15代将軍となりました。慶喜は薩摩藩と長州藩の勢力には勝てないと踏んで大政奉還を決断します。

しかし、その後の新政府に領地を朝廷に返すように命令され、領地を返すわけにはいかない慶喜は新政府と対立し、戊辰戦争が勃発します。その後戦争に敗れた慶喜は静岡で静かに暮らしたとされています。

新政府軍と旧幕府勢力による戊辰戦争が勃発

戊辰戦争の動き

大政奉還後も徳川慶喜は自身の経済力を使い新政府に入り実権を握ろうと考えます。ですが慶喜は新政府に領地を朝廷に返すように命令されたことで新政府と対立し、旧幕府軍と新政府軍の戊辰戦争が始まることになります。

旧幕府軍は兵士の数は多かったのですが、新政府軍の最新の武器による攻撃で敗戦します。

勝海舟

1860年時の勝海舟

勝海舟は徳川家の家臣の子として生まれました。勉強熱心だった海舟は幕府にてすぐに出世します。

戊辰戦争で慶喜は降伏し、海舟は新政府との話し合いを慶喜に任せられます。海舟は西郷隆盛と話し合いの末、江戸城への攻撃を中止してもらう事に成功しました。戦争後は新政府に認められ、重要な役職を担いましたがすぐに退任し、その後は徳川家の家臣だった人の生活を守るために尽力しました。

板垣退助

1906年頃の板垣退助

土佐藩の上級武士出身だった板垣退助は、倒幕の考えを持っており、薩摩藩に「幕府を武力で倒すのなら土佐藩も協力する」と約束していました。約束通り戊辰戦争では新政府軍の味方となり、数々の戦いで活躍します。その後の明治時代では日本最初の政党内閣を作り、内務大臣となっています。

松平容保

京都守護職時代の松平容保

松平容保は18歳で会津藩の藩主となり、その後幕府の安全を守るために京都守護職に就きます。そこで新選組とともに尊王攘夷派を厳しく取り締まりました。

ですが容保を信頼していた孝明天皇が亡くなり、大政奉還が行われたことで容保は新政府軍の敵となり、攻撃されることになります。会津での戦いで多くの犠牲者を出し、疲れ切った容保は降伏します。その後の明治時代では宮司となったのちに、病気で亡くなっています。

土方歳三

戊辰戦争時の土方歳三

土方歳三は農家として生まれ、25歳から道場に通い、ここで後の新選組局長となる近藤勇と出会います。その後近藤と共に「浪士組」となったあと松平容保の下につき、後に新選組の副長となりました。戊辰戦争では、局長の勇が処刑された後も最後まで逃げることなく戦いましたが、銃弾を受けて戦死しました。

土方歳三とはどんな武士?生涯・年表まとめ【死因や性格、エピソードについても紹介】

旧幕府勢力の排除を経て明治維新が始まる

戊辰戦争が終わると、新政府は藩を廃止する「廃藩置県」が行われたり、「徴兵令」により近代的な軍隊が作られたり、国内での最後の戦争となれる「西南戦争」が起きたりします。

このように日本を近代的な国にするために様々な改革が行われ、またその結果社会や人々も様々な変化が起きるようになります。

伊藤博文

伊藤博文

1885年に伊藤博文は初代内閣総理大臣となりました。ヨーロッパで各国の憲法を学んできた伊藤博文は様々な国の憲法を参考に大日本帝国憲法を作りました。ですが朝鮮を支配する動きを始めていたところで、朝鮮の独立運動家の安重根に暗殺されます。

大久保利通

明治維新後の大久保利通

西郷隆盛とは幼馴染で、薩摩藩としても戊辰戦争でも共に戦ってきましたが、新政府では西郷の主張する征韓論に反対し西郷と対立することになります。その後西南戦争で西郷隆盛率いる旧薩摩藩の軍と大久保利通の所属する明治政府は戦うことになり、大久保は悲しみながらも明治政府軍の指揮を執り反乱を鎮めました。

しかし、敵を作りやすい政治のスタイルだった大久保は、その後暗殺されこの世を去ることになります。

幕末の人物関係がよく分かるおすすめ作品

幕末の主な出来事と人物はここまで簡単に説明してきましたが、幕末に関する作品に触れるともっと深く様々な側面から幕末を楽しむことができます。

ここからは映画、ドラマ、本、漫画の4種類に分けて幕末の人物関係が良く分かるおすすめの作品を紹介していきます。

映画

桜田門外ノ変


2010年に公開された映画でタイトル通り井伊直弼が殺害された桜田門外の変が主軸に物語です。桜田門外の変の実行部隊の指揮者である関鉄之介の視点で話が展開していきます。関鉄之介は大沢たかおが演じており、内容も分かりやすく非常に人気の作品です。

福沢諭吉


少年時代から慶應義塾設立に至るまでの福沢諭吉の半生を描いた作品です。福沢諭吉は明治時代になってからの「学問のすすめ」の刊行や慶応義塾設立などが有名なエピソードですが、そんな福沢が幕末の激動の時代をどう生き抜いていたのかを知ることができます。

ドラマ

龍馬伝


2010年に放送されたNHK大河ドラマで福山雅治が主演です。題名通り坂本龍馬の生涯を描いた作品で、放送回数の長いNHK大河ドラマなだけあって数多くの幕末の人物が登場します。それぞれの人物の関係性が良く分かるので、幕末の人物をもっと知りたいという方にはぴったりの作品です。

西郷どん


西郷どんは2018年に放送されたNHK大河ドラマです。比較的最近の作品なので古臭さが無く非常に見やすく、放送回数も長いので内容もしっかりしています。

脚色が多くあり、歴史好きには賛否の分かれる作品と言われていますが、人物関係が非常に分かりやすくなっています。これから幕末を知っていきたい方におすすめの作品です。

竜馬がゆく


1963年から1966年にかけて刊行された、坂本龍馬を主人公とする長編小説です。良く知られている坂本龍馬のつかみどころがない性格は、この本の影響が大きいとされています。

これまでも何度かドラマ化されており、非常に有名な作品です。幕末でも特に人気の人物である坂本龍馬の事を知りたいのであれば一度は読んでおきたい本です。

燃えよ剣


燃えよ剣は新選組副長の土方歳三の生涯を描いた小説です。こちらも映画、ドラマ、舞台と様々なメディアで展開されている作品で、幕末でも非常に人気の高い組織である新選組にフォーカスがあてられるため新選組が好きな人には特におすすめの作品です。

漫画

JIN―仁―


JIN―仁―はドラマ化もされた全20巻の漫画で、現代の医師が幕末へタイムスリップし、活躍するというSF要素の強い作品です。ですが、実際の幕末の人物が数多く登場し、非常に幕末の人間関係が分かりやすく描かれています。

少し他とは味の違う幕末を描いた作品が見たいのであればJIN―仁―は非常におすすめです。

ちるらん 新撰組鎮魂歌


ちるらん 新撰組鎮魂歌は新選組を主に描いた漫画です。新選組が不良少年グループのように描かれており、バトル漫画のような展開になっています。しかしそれ故に幕末を全く知らなくても読みやすく、幕末には詳しくないけどこれから幕末の事を知っていきたいという方にはおすすめです。

まとめ

今回は幕末の人物についてまとめていきました。

幕末の人物はみんなそれぞれ信念をもって動き、それぞれの戦いを繰り広げてきました。そのため新政府軍を正義と見たり、旧幕府軍を正義と捉えたりと様々な見方をすることができます。

また様々な人物を知ることによって、幕末のお気に入りの偉人を見つけるのも非常に楽しいです。幕末の人物について確認したくなったら、またこの記事を参考にしていただければと思います。

コメントを残す