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宇宙誕生から現代までの世界史を年表順に全網羅【歴史を時系列で解説】

歴史は今大変なことになっています。専門家たちが好き勝手に細切れにし、また各国政府が自国にとって都合の良いことだけを切り取ってきたからです。特に厄介なのは話が最初から時代順に示されていることがほとんどないこと。

「宇宙ができてからどのくらい経つのか?」
「地球上の生命はいつ誕生したのか?」
「人類の最古の祖先は誰なのか?」
「古代中国の科学技術はどのように近代世界の形成に貢献したのか?」
「なぜ民主主義はギリシアで芽生えたのか?」
「人間は本当に他の生き物より優れているのか?」

このような基本的かつスケールの大きい問いを突きつけられると多くの人は戸惑いを感じるではないでしょうか?何しろ学校で習ったのは王様や女王様の名前、世界規模の戦争の1つか2つそれに恐竜についてのちょっとした知識くらいにとどまるから。

過去についての知識が細かい専門分野に分けられ山のような書物の中に埋もれてしまっているせいで多くの人は本来歴史が教えてくれるはずのものを楽しむどころか迷子になったり袋小路に入り込んで出られなくなってしまっていると思います。

そこでこの記事では話を本当の本当の最初、つまり137億年前から始めて、地球上で起きたあらゆる出来事を『宇宙誕生〜人類誕生+6区分法』という形でまとめます。

あなたがこの記事を読んで文明の発達と進化生物学、近代の科学と先史時代の芸術そして世界的な宗教の始まりと母なる自然の力がそれぞれ結びついていることに気づいてくださったら筆者にとってそれに勝る喜びはありません。

目次

138億年前〜40億年前:宇宙誕生 🌏

今から137億年前にとてつもない爆発が起こり私たちの宇宙が始まりました。爆発からわずか1,000,000分の数秒の間に宇宙は数直径数10キロメートルにまで広がります。

新しい星が生まれ古い星が焼き付くされ92億年後焼き付くされた星の残骸から太陽が生まれて輝き始めたのです。その爆発「ビックバン」の大音響は今も宇宙にこだましています。

138億年前:ビッグバン 💥

ビッグバンで全宇宙が誕生しました

まさに「マバタキする間」に今の宇宙が形作られたのです。

始まりは「無」でした。物質もエネルギーも空っぽの空間さえありません。空間そのものが存在していなかったのです。時間というものがないため時を刻むこともありません。

ビッグバン、太陽の1兆倍のさらに10兆倍の熱さ

しかし突如原子より小さな火の玉、ビッグバン、が姿を表しました。その温度は太陽の中心温度の1兆倍のさらに10兆倍。ピンの先より数千倍小さい点から宇宙を生み出すあらゆるものが爆発しました。

そしてこれが「時」の始まりになったのです。わすが1秒で宇宙全体の設計図が描かれました。この史上最大の謎はどのようにして起こったのでしょうか。我々の地球のことを知りたければまずは宇宙の誕生について理解する必要があります。

今では有力な説となるビッグバン理論も、この概念の誕生からまだ100年も経っていません。それまでは未来永劫不変であると考えられていました。

ビッグバン理論、超簡単にいうと

「138億年前、宇宙が誕生した瞬間から、10の-34乗秒後に起こった極めて高密度、高温度の大爆発」です。

10の-34乗秒を数字で表すと「0.0000000000000000000000000000000001秒」となります。1秒の1兆分の1をさらに1兆分の1にして、またさらに10億分の1以下にした時間です。

通常「爆発」とは、燃料や火薬を燃焼させると、気化して高温ガスとなり、急速に膨張します。その膨張速度が音速を超えると、衝撃波が生じて大音量が響くわけです。

では、138億年前の大爆発はどのように起きたのでしょうか?燃料や火薬に相当するものは宇宙にある全ての物質でした。全ての物質が一点に集められていたわけです。そして実はこの時の大爆発は今でも起こり続けています。

【超入門】ビッグバン理論って何?わかりやすく簡単解説

138億年前:銀河誕生

46億年前:太陽誕生

45億年前:地球誕生

41億年前:隕石落下

40億年前〜3000万年前:生命誕生 🐠

38億年前:単細胞生物

6000万年前:動物誕生

5300万年前:魚誕生

3960万年前:虫誕生

3000万年前〜600万年前:恐竜誕生 🦕

2300万年前:恐竜誕生

2000万年前:哺乳類誕生

1500万年前:ステゴサウルス誕生

680万年前:テラノサウルス誕生

650万年前:恐竜絶滅 🦖💀

メキシコ付近に巨大隕石が落ちた・・・?

一般的に、恐竜の絶滅は「隕石の落下」が原因といわれています。あなたもきっと学校の勉強で習ったはず。6600万年前の白亜紀、今でいうメキシコに、直径170キロメートル程度の隕石が落下したのです。

そしてその隕石落下が原因となり、地球全体規模の様々な自然災害が引き起こされ、地球上にいるほとんど全ての生物が消滅してしまったとされています。

これが一般的な「恐竜絶滅の理由」です。

しかし、それは本当に真実なのでしょうか?実は恐竜の絶滅は、それ以外にも様々な理由が説かれていますし、実際、隕石の衝突が具体的にどのようにして地球上の生物を壊滅させたのか?は長い間謎に包まれていて、未だに全てが解明できている訳ではありません。

そこでこの記事では、なぜ恐竜は絶滅してしまったのか?本当に隕石落下が原因なのか?その他にはどんな説があるのか?などなど、その理由に迫っていきます。

本当に隕石が原因?恐竜はいつ、なぜ絶滅したのか?その理由を徹底解剖

600万年前〜200万年前:人類誕生 🐵

巨大な大陸が衝突したために気候は大きく変動し地球の大部分は白い氷に覆われその状態が数千年にわたって続きました。気温が低くなり雨の量が減るにつれて森林は草原にかわり鳥たちは大陸を渡るようになり、動物はその環境に適応したかそうでなければ絶滅を繰り返しました。

600万年前:人類誕生

330万年前:道具を使い出す

200万年前〜紀元前300年:原始 🔥

人類は進化の力を利用して強大な文明を築いていきます。自然の猛威から巧みに身を守るようになり明瞭な言語と文字によって次の世代に知識を伝えられるようになりました。

150万年前:火を起こす

Coming soon

30万年前:現生人類誕生

Coming soon

3万年前:ネアンデルタール人絶滅

Coming soon

1.3万年前:ホモサピエンスが唯一生き残る

Coming soon

1.2万年前:人類初めての寺院「ギョベクリ・テペ」の建造

Coming soon

1万年前:農業牧畜革命

1800年代の農業革命とは別です

6500年前:歴史上初となる文明の誕生「メソポタミア文明」

Coming soon

6400年前:楔形文字の誕生

Coming soon

4630年前:ピラミッド建造 🧱

ピラミッドはなぜ作られたのか?

ピラミッドというと、なんとなくイメージは湧くけど実際どんな建物なのかまで知っている人は少ないのでしょうか。

この巨大な存在感と神秘さは、もっと知りたくなる探究心をくすぐりますよね。そこで今回はそんなピラミッドを「できるだけ分かりやすく」知るために、「5W1H」で謎を解説していきます。

【謎に迫る】ピラミッドとは?いつどこで誰がどうやってなぜ作ったのか

4500年前:硬貨の発明

Coming soon

紀元前300年〜1000年:古代 🕌

紀元前221年:「秦王 嬴政」が中華統一し「始皇帝」となる

紀元前27年:ローマ帝国

0年:キリスト誕生

58年:仏教が中国に

80年:ローマにコロッセオ誕生

147年:卑弥呼が女王となり倭の国が誕生 👵🏻

弥生時代

卑弥呼は、日本という国ができ始めたころ、つまり今から2000年近く前の時代に「邪馬台国」というクニに存在していたと言われる、倭国(当時の日本)の国王です。卑弥呼は当時の魏という国、現在の中国と関係を持ち、親魏倭王の金印、銅鏡百枚、刀や真珠など数多くの貴重なものを頂いていました。

さらに卑弥呼は鬼道と呼ばれる、占いなどの術も得意で、卑弥呼が亡くなった後には国をしっかりと治められないほどに卑弥呼は鬼道を用いた国の統治に成功していたと言います。

卑弥呼は生まれた年も亡くなった年も、墓についても、どんな顔であったかについても全くわかっていない、そんな謎の多い人物です。彼女は邪馬台国に住み、倭国を鬼道により統治していた、という情報しか存在しない程です。

しかもその情報は「魏志倭人伝」という、卑弥呼が存在していた時代に中国に存在した魏という国が編纂した書物にしか記載されておらず、卑弥呼に関する情報だけでなく邪馬台国の場所に関する情報に関しても詳細は記載されておらず、大まかな情報しかありません。

しかし、その「魏志倭人伝」のおかげで卑弥呼が魏に使いを派遣、いわば朝貢を行っていて、かつ邪馬台国の政治はヤマト政権のように租税が存在し、卑弥呼の弟が実権を握る政治を呪術面で卑弥呼がサポートしていたということも知ることができます。限られた情報ではありますが、人物性に関してはある程度のことはわかる、そんな卑弥呼の知られざる真実に迫ります。

【邪馬台国の女王】卑弥呼とは何をした人?歴史・年表まとめ

538年:日本に仏教が伝来

1000年〜1600年:中世 🇲🇳

979年:宋が中国を統一

1095年:十字軍

1206年:モンゴル帝国建国

1271年:マルコポーロが中国への旅を始める

1347年:ペスト

1400年:3大発明「火薬、羅針盤、活版印刷」

1453年:コンスタンティノープル

1476年:応仁の乱

1492年:コロンブスによるアメリカ大陸の発見 🇺🇸

クリストファー・コロンブスは、15世紀に活躍した探検家であり航海者です。

白人として初めてアメリカ大陸を発見し、ヨーロッパ世界とアメリカ大陸を結ぶきっかけを作った偉業は広く知られており、まさに現在の世界の礎を作った人物の一人だと言っても良いでしょう。「コロンブスの卵」として残る、彼の柔軟な発想を示すエピソードも有名です。

しかし、そんな偉業を成し遂げた人物ではあるのですが、コロンブスに対する評価は人によってまちまちとなっています。その評価の間の溝は深く、「コロンブスは偉大な人物だ!」という人もいれば「コロンブスは最悪の人物だ!」と評価する人もいるなど、ほとんど対極の評価があると言えるほどです。

そのような対極の評価が生まれる理由としては、ヨーロッパとアメリカを結びつけるという偉業を成し遂げた一方で、そのアメリカ大陸の先住民に対し、数々の略奪や強姦、虐殺を行ったためでしょう。事実、アメリカ合衆国で祝日と位置付けられている「国際コロンブスデー」では、毎年のように反対デモが起こっています。

世界史に残る偉業を成し遂げた一方で、「最低の虐殺者」とまで呼ばれ、数百年の後も忌み嫌われる蛮行をも成したクリストファー・コロンブスという人物の真実に迫ります。

【新大陸の発見者】クリストファー・コロンブスとは?航路から読み解く生涯

1505年:ダヴィンチ「モナリザ」を描く 🖼

レオナルド・ダ・ヴィンチは世界で最も有名な絵画と言われる「モナ・リザ」の作者です。しかし、その功績は絵画だけにとどまらず「“飽くなき探究心”と“尽きることのない独創性”を兼ね備えた人物」「万能の天才」とまで呼ばれています。

1452年4月15日、フィレンツェ郊外のヴィンチ村に私生児として生まれたレオナルド・ダ・ヴィンチは、幼少期にはきちんとした教育を受けませんでしたが、代わりに鋭い観察眼と描写力を養い、当時のフィレンツェで最も優れた工房に入門した後は、その才能をどんどん開花させていきました。

その才能は芸術面だけにとどまらず、生涯で書き残した7200枚ものノートの中には現代のヘリコプターや装甲車、パラシュートといった機械工学的な構想や、世界初の人体の詳細な解剖図や動脈硬化の発見など、およそ500年前のものとは思えないほどの発明や発見が多数含まれていました。

一方で、ノートには鏡文字を使用していたり、ノートや絵画の中に意味深な文章や文字列を残したりと、ミステリアスな部分も多く「ダ・ヴィンチ・コード」という小説の題材になるほどで、現在も注目を集め続けている偉人の一人です。

ミステリアスな魅力のあるレオナルド・ダ・ヴィンチ。その生涯から見える人となりを知ると、彼のことをより一層好きになるはずです。まさに彼の生涯を知って好きなった私がレオナルド・ダ・ヴィンチの生涯をご紹介します。

【年表付】天才レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯を解説!作品や名言、死因も紹介

1600年〜1800年 :近世 🇺🇸

1600年:江戸幕府の成立

1610年:ガリレオ・ガリレイ「地動説」を証明する

1687年:ニュートン「万有引力」を発見

1760年:産業革命

1761年:赤穂事件(忠臣蔵)

1776年:アメリカの独立宣言

1800年〜1950年:近代 💣

1804年:化政文化が花開く

1820年:チャールズ・バベッジによる ”コンピューターの元祖” の考案・開発 🖥

チャールズ・バベッジ

チャールズバベッジは、19世紀に活躍したイギリスの数学者です。

現在の社会では、インターネットに繋いで動作する機械が数多く存在し、ほとんどの家庭にはプログラミングによって動く機械が置かれています。現在の社会や生活はコンピューターによって支えられていると言っても、決して大げさではありません。

そして実は、それらのコンピュータの原型は全て、チャールズ・バベッジが作ったといってもいいものなのです。バベッジは「コンピュータの父」とも呼ばれ、予算の都合で実用化こそされませんでしたが、19世紀当時の技術と材料で、きちんと動作するコンピューターを設計していました。

「機械に計算を行わせる」という、当時としてはあまりにも画期的な発想と、それを実現させるべく設計を行ったバベッジは、紛れもない天才だったと言えます。その功績は現在も色あせず、現在でもイギリスには「チャールズバベッジ研究所」と名付けられた情報科学の研究所が存在するほか、ロンドンのサイエンス・ミュージアムには、なんと「バベッジの脳の半分」が展示されています。

そんな世界史上、そして現代社会の礎に純然たる功績を残しながら、意外なほどに日本ではあまり名の知られていない、チャールズ・バベッジという人物の歴史を紐解きます。

チャールズ・バベッジの生涯・年表まとめ【功績や性格、略歴も解説】

1831年:葛飾北斎「富嶽三十六景」発表 🗻

神奈川沖浪裏

葛飾北斎(かつしかほくさい)宝暦10年(1760年10月31日)~嘉永2年4月18日(1849年5月10日)は、江戸後期に活躍した武蔵国葛飾郡出身(現在の墨田区の一角)の浮世絵師。

本名は「川村鉄蔵(てつぞう)」と言います。出生に関しては不明な部分が多く、貧しい農家の家庭である川村家に生まれ、4歳ころに幕府御用達鏡磨師(かがみとぎし)に養子として迎えられたと言われています。

19歳という若さで絵の才能を認められ絵師としてデビューするも、貧乏な暮らしが続きます。しかし執念ともいえる絵に対する異常なまでの向上心で30代後半で才能を開花させ、大ヒットを連発する人気絵師へと成長していきます。

生涯で脳卒中に2度倒れるなどの苦難がありながらも、常に絵に対して執着とも言える程に研鑽し、「北斎漫画(ほくさいまんが)」や「富嶽三十六景」といった、海外でジャポニズムを引き起こすきっかけとなる影響力をもった作品を多く世に生み出します。

北斎が残した作品の影響力は、1998年にアメリカ「ライフ」誌が企画した「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」に日本人で唯一人ランクインするほどです。

また、2019年(平成31年)、新しくなる日本国パスポートのデザインは北斎に決定されるなど、現代においても色褪せない傑作を残しています。まさに日本を代表する偉人と言えるでしょう。

葛飾北斎の歴史・年表まとめ【人物像や作品、エピソードも紹介】

1854年:ペリー来航後、「日米和親条約」を結び日本が開国する

1859年:ダーウィンの「進化論」発表

1866年:坂本龍馬、薩長同盟に成功 🤝

坂本龍馬

坂本龍馬(さかもとりょうま)天保六年(1835年11月15日) – 慶応3年(1867年11月15日)は、江戸末期を生きた、今でいう高知県に当たる土佐藩出身の志士です。「志士」とは命を投げ出してでも、国家民族の為に何かを成し遂げたいという高い志を持っている人の事を指します。彼の人生は32年と短いものでしたが、最も熱狂的に、最も情熱的に生きた人物と言えるでしょう。

数々の偉業を残してきた龍馬ですが、一言でまとめるとすると、薩摩、長州という二大藩に同盟を結ばせ「江戸幕府を倒すきっかけ」を作ったことでしょう。大政奉還により幕府は天皇に政治をする権限を返すことになりましたが、これも龍馬が結ばせた薩長同盟により、変換が促されたからです。つまり今の日本に通ずる新体制を作り上げた立役者は、間違いなく坂本龍馬と言えるでしょう。

土佐藩の比較的身分の低い武士の家に生まれ、27歳の若さで脱藩します。その後、勝海舟や西郷隆盛などとの出会いを経て、後の海援隊である亀山社中を設立。薩摩藩と長州藩の仲介役として貿易業などを行いました。その活躍もあり、犬猿の仲だった両藩に同盟を結ばせ、倒幕や明治維新に関与しました。

1867年(慶応3年)に大政奉還がなされ新時代が幕開きますが、そのわずか1ヶ月後に何者かに暗殺されてしまい、明治の日本を見ることはありませんでした。龍馬が暗殺されたこの事件は近江屋事件と呼ばれています。

坂本龍馬とはどんな人?歴史・年表まとめ【暗殺理由や名言、性格も紹介】

1868年:明治維新

1894年:日清戦争

1904年:日露戦争

1905年:夏目漱石、処女作「吾輩は猫である」発表 🐈

吾輩は猫である

夏目漱石(なつめ そうせき)慶応3年(1867年2月9日)〜大正5年(1916年12月9日)は明治時代の小説家です。小説「こころ」は高校現代国語の教科書の定番でもあり、誰もが一度はその作品に触れているのではないでしょうか?

近代文学史上、漱石は明治の大文豪ですがその活動期間は意外に短く、処女作「吾輩は猫である」を執筆したのは38歳、死により未完で終わった「明暗」執筆は49歳の時でした。

小説家漱石の実質的な活動期間は、約10年間だけなのです。その10年の間に「こころ」「道草」「それから」など文学史に残る多くの作品を手がけました。

漱石の一生は明治という時代とともにありました。日本が近代国家となり、国家システムや政治だけでなく、文化も文学も生まれ変わっていく激動の時代の中で、漱石は小説家として新時代のスタンダードを作った人物と言っても言い過ぎではないかもしれません。

いま漱石を読むということは、日本の近現代文学を見つめ直すことにつながるでしょう。

夏目漱石の生涯を歴史年表付きで解説【代表作品や名言、死因も紹介】

1914年:第一次世界大戦

1915年:アインシュタイン「一般相対性理論」発表

1928年:満州事変

1937年:盧溝橋事件を機に「日中戦争」勃発

1937年:ピカソ「ゲルニカ」を描く 🎨

ゲルニカ

パブロ・ピカソ(1881-1973)はスペインのマラガで生まれ、フランスにて制作活動を行った芸術家です。

油絵、素描(白黒のみで描かれた完成形のデッサン)、版画、彫刻など、総計で生涯におよそ14万以上の作品を世に送り出し、その功績から多くのメディアで「最も多作な芸術家」だと言われています。実際その作品数はギネス記録にも認定されました。

また、ピカソは『キュビズム』と呼ばれる美術の革命的な技法を生み出したことで有名です。キュビズムとは、遠近法など1つの視点からではなく、様々な視点から描く美術技法のことで、「3次元を2次元に省略した描き方」とも言われています。フランスの画家「ジョルジュ・ブラック」と共に、ピカソはキュビズムの創始者として知られています。

つまり、ピカソは芸術家として革命的な人物であるからこそ、有名になったのだと考えられます。しかし、「ゲルニカ」や「アビニヨンの娘たち」といったピカソの名作は、素人にはどう上手いのかわかりません。ただ本記事を読み進めれば、ピカソの芸術家としてのスゴさが理解できるでしょう。

【年表付】ピカソってどんな人?なぜすごいの?本名や名言、代表作品も紹介

1939年:第二次世界大戦

1940年:杉原千畝、ナチスの迫害から難民を救う年 🇮🇱

杉原千畝(すぎはらちうね)は、「東洋のシンドラー」とも呼ばれる日本の外交官です。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害から逃れるために逃げてきた約6000人に渡るユダヤ人に、彼の独断で亡命するためのビザを発行したことで知られています。本来であれば虐殺されてしまうところだった命を救ったことから「命のビザ」と呼ばれています。

「東洋のシンドラー」と呼ばれるゆえんは、同じく第二次世界大戦中に、ドイツにより強制収容所に収容されていたユダヤ人の中で自身の工場で雇用していた1200人を虐殺から救ったオスカー・シンドラーから名付けられています。

杉原千畝がリトアニアの領事館に着任した時、既にドイツではヒトラー率いるナチス政権がファシズムの勢力を強めていました。ナチス政党はユダヤ人の撲滅と、当時ユダヤ人の有力者が入党していた共産党にも反対し、ゲルマン人優位性を掲げて団結力を強めていったのです。

ポーランドを占領され、ナチスに迫害されたユダヤ人たちは、命の危険を感じて他国に逃れようとします。日本を経由して他国に亡命するためにビザの発行を求めて日本領事館に連日押し寄せてくるようになりました。

連日100人以上のユダヤ人が訪れましたといいます。脱出のために残されたルートは日本に渡ってアメリカやその他の国に逃れる道しかなかったのです。

千畝が実際に働いたリトアニアの領事館

しかし、戦争のさなか、ユダヤ人を受け入れる、ビザを発行できる国はそう多くありませんでした。そんな中、杉原は自らの危険を顧みず、ドイツやソ連を上手くかわしながら「命のビザ」を発行しました。イスラエルからは今なお「東洋のシンドラー」「正義の人」と称えられる存在であり、全世界に命のビザのルーツが広めた張本人です。

杉原千畝ってどんな人?「命のビザ」や功績まとめ【歴史年表付】

1941年:太平洋戦争

1947年:冷戦

1950年〜:現代 🖥

1952年:ネルソン・マンデラ

1961年:「地球は青かった」のガガーリン、史上初の有人宇宙飛行に成功 🚀

ユーリイ・ガガーリンは旧ソ連生まれの宇宙飛行士です。1961年4月12日、人類初の軌道周回飛行を成し遂げ「地球は青かった」という言葉とともに歴史に名を刻みました。

1961年、人類初の軌道周回飛行を成し遂げたソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリン。

アメリカとソ連の宇宙開発戦争でソ連が一瞬の勝利を得た瞬間でもありました。これをきっかけにアメリカはかの有名な「アポロ計画」を立ち上げ、その8年後の1969年にアメリカ側は月面着陸を成功させました。

ガガーリンは引退後、飛行訓練学校の講師になります。周回飛行から7年後の1968年、ジェット機飛行訓練中の事故により34歳の若さで亡くなりましたが、未知の宇宙空間に人類として初めて挑んだガガーリン少佐の名は、忘れられることはないでしょう。

【年表付】ユーリ・ガガーリンとはどんな人?名言や功績、映画、本まとめ

1963年:マーティン・ルーサー・キング Jr.

1969年:ニールアームストロング、人類史上初めての「月面着陸」に成功

1990年:「World Wide Web」の誕生